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山彦恵方では、『山歩』、『野歩』の他に『行歩(ぎょうほ)』という企画をご提案させていただいております
『行歩』とは、「修験の道」、あるいは「行の道」という観方をした“厳しさ”をともなう山歩(さんぽ)企画です
先日、行歩としての位置づけにて飯豊連峰の主稜線を弥平四郎口から大石ダム林道ゲート(東俣川側)までの長大な道を4泊5日で歩いてきました
このルートは、飯豊連峰の一般登山路としては、最長と言っていいと思います
『行歩』KOH(考)として行歩の意義を書かせていただきます
行歩企画を目にされた方の心の内には、「参加しようか、どうしようか」という想いがポツ念として起ります
緊張感の芽生えです
この緊張は、なぜ芽生えるのでしょうか
それは可能性への疑念であり
未知の自分自身の出あいの予感です
(「あい」にどの漢字を当てたら良いのでしょうか、遭いでしょうか、逢いでしょうか、それとも遇いでしょうか)
「果たして今の自分自身の技量で、歩き切れるのだろうか・・・」
この自分自身への問い掛けが、緊張を招いているのです
その瞬間、もう既に“行歩”は、はじまっているのです
結果、何らかの理由より、参加を断念したとしても、少なくとも自分自身に問いかけたこと
そのことがとても大切で大事なのことなのです
自己と向き合うことで、未だ観ぬ自分自身を見い出す
高める、成長する、気づきを得る
それらは、どこからやってくるのでしょうか
自分自身の心からです
心と向き合う、これが“行”の原点なのです
参加を表明された方は、さらに緊張を高めることになるでしょう
その時点から日常にまで、その緊張を持ち込むことになる
夢のも観るかもしれません
心の世界の想像で、自己と対峙する
恐怖心、恐れ、ストレス
緊張が不安に変化し、そこに向き合うことになります
そういうマイナスな心に支配されつづけるのでしょうか
違いますね、そこむ向き合うことを決断します
そして自分自身の心技体に、問いかけ、点検を開始します
点検結果、不安や不足の事があれば
それを払拭するために対策を講じようとして、その為の取り組みを開始します
山道の第一歩を踏みだす日に想いを馳せて
来たるその日に向けて、今の自分自身に出来るうる努力しつつ
その日のその第一歩に向かうのです
そこにあるのは期待、不安、憧憬
あるいはそうですねえ
山への畏敬の念も湧きおこってくるかも知れません
そう考えてみると、不安と期待の入り混じった自分自身の真の第一歩を
背中をポンと押して歩み出させてくれるのは
他人ではなく自分自身の勇気なのだということに気がつきます
ハレの日の第一歩を踏みだした時から
貫徹の最終歩までの間の道中は、自分自身を信じてひた向きに歩くしかないのです
この自分自身を信じてやること、これが単純に言えば自信です
「自信がある」あるいは、「自信を持て」という表現は
傲慢に聞こえるでしょうか、謙虚ではないと
理屈を書きます
自分とは、精神体を言います
自身とは、肉体を言います
自分自身で、生命体です
自分自身とは、精神体と肉体の両方の一体化を示す言葉なんです
その両方を信じることなので自自信が正確なように思います、ははは
「自信がある」とは、その一体化を、一体していると感じる時の状態を指します
その自信がある状態をを感じるところは、心なのですが
その心に層があるとすれば、ずうっと深い層です
その層を刺激し続けると、さらに自分自身に力を与える何かが動き出します
その力が動き出すことを感じたことがありますでしょうか
その何かの動きの導き感、制御感を感じる得た時・・・
ははは、かなり難しい話になってきましたね、止めましょう
何かが何かだけ簡単に書きます
それは“霊体”ですといったらオカルト的に感じ拒否感を覚えますでしょうか
では日本人には、なじみのある“精神”、あるいは“魂”としましょう
余談ですが、“魂”も“魂魄”として精神体と肉体、心身一体の思想です。
遣り遂げた時、何を手に入れることができるのでしょうか
達成感、それはありますよね
でもその答えは、達成感と言う事だけではないでしょう
その日から、ゆっくりと時間をかけて心の奥底にある精神、あるいは魂から
清水の如く湧きあがってくるものなのだと思います
その水の味は、遣り遂げた自分自身のみが感得しるものなのでしょう
“行歩”とは、これら一連の準備、実行、感得を目指した山との関係性なのです
船形山は、御所山とも呼ばれていることは、皆さんの知るところだと思います
それは山形側の呼び名です
仙台側では、「船峠」、「船ヶ嶽」でした
「ふながだけ」のけが無くなり「ふながた」となったようです
ちなみに泉ヶ岳も「泉ヶ嶽」でした
御所山と書くのは、承久の乱で佐渡に流された順徳天皇がこの山に隠れ住んだという伝説の延長上にあります
御所神社の縁起によれば
承久の役で佐渡へ流された順徳上皇が、その20年後に随従の阿部頼時の助けで佐渡を抜け出し
越後から庄内に渡り、最上川、丹生川と遡り御所山(船形山)に入った
その後正厳に移るが、寛元4年(1246年)に崩御した
後、頼時は、当地に聖廊を建て御所神社としたという
とのこと
その御所山と同音となる五所山の呼び名を御存じでしょうか
御存じ・・・ですよね、はい
全国の御所神社のかなには、五所の字を当てる場合もあるので特に異論はないですが
気になるのが、その根拠としてなるのは、「峰入り」と言われる修験者、山伏の修行の道として
五山を巡ったのだという話があることです
調べてみると峰入りのコースは、三つありました
こうです
1.月天森→日天森→御前峰→大峰→荒神山
2.黒伏山→月天森→日天森→大峰→荒神山
3.月天森→日天森→姥嶺→御前峰→大峰
確かにどのコースも五峰の回峰です
どの登山口から入っての回峰なのか、それも大事なポイントですが今はKOH察を避けましょう
ところで見慣れない山名がありますね
旧、新を置き変えてみましょう
月天森⇒最上カゴ
日天森⇒仙台カゴ
御前峰⇒楠峰
大峰(峯)⇒五所山⇒御所山
姥嶺⇒ウバ地蔵
船形山、いや御所山は大峰だったのです
時々みかける大峰と彫られた石碑は、船形山のことだったのかもしれません
とすれば、仙台側でも船ヶ嶽を大峰とする認識があったともいえます
それとカゴは、月天森と日天森と呼ばれていたこともわかりました
そこに触れるのは、またの機会にします
御所山を大峰と呼んでいたのに、わざわざ五所山と言うのでしょうか
あるいは言い直すなり、使い分けたりするのでしょうか
という素朴な疑問が起こります
第一、修験の世界で大峰といえば
世界遺産熊野古道の熊野参詣道へつづく大峯奥駈道が連想されますので
なおさらのこと、その疑問はますます強くなります
山岳信仰が盛んな頃は、御所山への表登山口は鶴子口だったといいます
今の御所山荘から、落合、カンベ坂、伊勢坊主分岐点、夫婦松と進み御所山頂へ至るのが表で
東根の観音寺口は、表ではないとも
確かに御所神社の奥の院が山頂付近にあること
その里宮が尾花沢にあるとする確固たる関係性が成立しますので
御所山の名は、尾花沢地方の呼び名だったと断定していいと思います
以上からKOH察の結果として
山形藩の民は「ごしょさん」と共通した音(おん)で呼び
文字変換は、尾花沢地方では、御所山していた
もしかすると東根地方では五所山としていたかも知れませんが記録はみつからなかったです
と結ばせていただきます
そして一番感心を引く結果となったのが、山伏の間で船形山を、大峯(峰)としていたことです
今回、調べている最中に、気になる点がいくつか出てきましたので
今後も機会をみて調べて書いてゆきたいと思います
●9/30:内容を大分、書き換えました
山の道を古(いにしえ)に照らし観る時、船形山の近くにありながら登山道のないそしてヘンテコな名称を頂く「仙台カゴ」と「最上カゴ」いったい何でこんなお名前なのか
そしてどんな意味を持っている御山様なのだろうか
そんな想いを長年持ち続けているのは、私だけなのでしょうか
この10月の3連休に、その両カゴを藪漕ぎし山頂に立とうと想い立ち調べることにしました
と書きつつも、結果としては、飯豊山に酔狂行者として詣でようとしているのですが
^^;
そもそも「カゴ」とは、どのような意味を持っているのでしょうか
一般説と言っていいだろうと想う、「加護」説が、正しいのでしょうか
仙台と最上は、戦国時代の怪傑、伊達正宗と最上義光のの所領に由来することに異論はないでしょう
現在も仙台カゴ上を宮城と山形の県境が通っています
それぞれの所領を御加護していただく守護神とての山だったのでしょうか
つまり仙台、最上のそれぞれを神々の御加護で御守りいただく願懸けの山だった、のでしょうか
加護のつく山と言えば、大崎市にある標高223.2mの山、加護坊山を連想します
あっそれだけなんで・・・脱線ですね、戻ります
想像の世界、いや空想の世界の話ですが
もしかして、両藩の見張り台があったのではないか、などとも考えてしまいます
山伏は、戦国時代に斥候的な活動を担っていても不思議ではないですし
実際に街道ではないにしろ道はあったことは事実ですから
ここを不意に越えられて攻め入られたのでは困ります
そいう意味でも監視は必要だった、と考えても違和感はないでしょう
ここからの見晴らしはとても良いですしね
他に、入れ物の籠をひっくり返したような形という説
鹿児島県の「かご」の由来となったとされる「崖」の古語(倭御?縄文語?)説
もあるようですが、ここでは省略させていただきます
長くなりましたが「仙台カゴ」と「最上カゴ」の名称は、戦国時代以降の呼び名と考えて良いのではないでしょうか
盤司尾根の下見に行った帰路、秋保大滝不動尊に寄りました。
そこからこうして筆をとるまでに思い巡ったことを徒然に書かせていただきます。
秋保大滝不動尊の看板には、“山形県山寺立石寺の奥の院”と書かれています。
はて立石寺の奥の院といえば、あの山の最上部にあるのではないかという疑問が起こります。
確かにそのとおり在ります。
KOH察の範囲を出ませんが、立石寺は、天台宗の山でしたが、鎌倉幕府の命で一時、禅宗になりました。
その後、天台宗に戻ります。
禅宗は、修験の山駆けのような行為に否定的です(皆が皆ではないでしょうけど)。
その時の名残なのではないかと想います。
正式、古式、言い方はどうあれ、本来の正しく参拝するのであれば、立石寺(方面)から二口峠を越えてこの秋保大滝不動尊まで歩くことになります。
でもそれは大変なので、奥宮ではなく、里宮があります。
里宮は、通信基地と言ってもいいかもしれませんね。
では、その参道は、どこなのか・・・今は、想像するしかありません。
創建年は、伝で貞観2年(860年)、開基も伝で慈覚大師円仁です。
立石寺の法燈は、比叡山からの分燈であり、一時焼打ちで消えたが、再び分燈されている。
比叡山焼き討ち後の再建時には、逆に立石寺側から分燈された。
それ程繋がりが強いのです。
創建当時から室町時代までは、天台宗の修行僧達が、比叡山式の回峰行を模して修行に励んだことでしょう。
その場所は、あまり知られていませんが、直ぐ先に峯の浦と言われる場所があり、多くの岩と滝のある修験場跡が残っています。
そして日常の回峰以外に、おそらくその奥の遊仙峡から紅葉川渓谷へ進む道も修行場であったことでしょう。
通称山寺の正式な寺号は、宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)です。
紅葉川渓谷には、宝珠と呼ばれる岩場がありますのでその関連性を感じます。
また両渓谷ともに岩小屋と呼ばれる場所もあります。
地図を広げて観るとわかりますが、紅葉川渓谷と遊仙峡は、直線上にありません。
両方を歩くとすれば、回峰コースとなります。
単純な想像になりますが
立石寺→遊仙峡→秋取峰尾根→糸岳(岩平峰)→盤司岩尾根→沢→大滝だったのではないでしょうか。
遊仙峡から秋取峰尾根へ及び盤司岩尾根に登山道はありません。
現在の道具と道の整備状況があったとしてもかなり厳しい工程です。
当時ここを歩き、大滝に向かうには、相当の行者修行を目指す者であったことでしょう。
※ 2009年8月23日現在、秋保大滝の滝壺までの遊歩道は通行止めとなっておりますので、訪れる際にはご注意を。
●9/26 内容を一部変更しました
●お申込み状況
2名の方よりお申込みをいただきましたので決行予定です
ありがとう御座います<(_ _)>
行歩【古山伏道】 いにしえの山伏の道を征
~飯豊連峰 飯豊山に大嵓尾根往復で拝する~
飯豊本山に向け真っ直ぐに伸びる尾根、それが大嵓(だいぐら)です。
その名のように尾根の両側が雪に削ぎ落とされ岩壁が現れ、荒々しいお姿です。
別名「切歯尾根」と呼ばれる尾根のアップダウンを繰り返しこなしながら標高差約1600mをこなさなければなりません。
剥き出しの岩稜部には、厳しい道であるにも関わらず、ロープ、クサリ、ハシゴなどの補助具はまったく設置されていません。
そもそも、そういう性格のルートなのです。
故に、この登山路が、ツアー登山として企画されることはありません。
山伏が「験」を求めるために自己と対峙しつつ通った修験の道なのです。
さて、そんな憧れの?大嵓尾根を往復しようという今回の企て
是非加わってみようという酔狂行者はいませんか(^◇^)
●スケジュール(検討中)
10月10日(土)
夜中(送迎します)に出発し、飯豊梅花皮荘で仮眠、5時頃飯豊山荘へ移動し、空が明るくなるのを待ってたちます。
飯豊山荘―温身平―桧山沢出合吊橋―休場の峰―千本峰―宝珠山―飯豊山―避難小屋
10月11日(日)
飯豊山で御来光を拝いだ後、往路と同コースを下山開始
飯豊梅花皮荘で入浴後、帰仙
●募集:原則3名限定
※最低決行人数2名
●集合場所/時間:参加者にて調整/AM12:30頃仙台出発4:30頃着
※指定場所送迎
●募集締切り:先着優先(最終9/30,19:00)
●会費:15,000円/3名時
※サポート費用、交通費のみです。
※食費、小屋費用(無料予定)、温泉代等は、含みません。
※2名時は、22,500円です。
●装備:小屋泊装備
※飯豊本山小屋泊です(昨年は20名程の宿泊状況でした)。
※食料は、食事計画書にて指定します。各自購入対応願います。
※軽量化のため、食器(箸、スプーンを含む)は持参しない等の装備指定します。
※お湯は沸かします。
※ストックはダブル装備必須です(貸与可)。
※サポーターKOHは、シェルターにて天幕指定地泊(小屋より徒歩3分)予定です。
※危険箇所通過のためのサポート装備として、ロープ、スリング、クイックドロー、下降器を持参します。
●注意事項:
※サポート体制は、KOHのみの1名です。
※保険加入はありません。
※天候状況(雪、強風等)にて途中撤退の可能性もあります。
※当日現地状況によっては、ルートを梶川、丸森の尾根道に変更する場合もあります。
※近年は、尾根直登ではなく巻き道が増えているようです
※崩壊により道が地図とは、異なっている可能性があります