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『森吉の山旅を終えて』
森吉の朝、頂からの風景は、少々興奮の有り難き事からはじまりました。
白き雲海から昇る紅きご来光に、思考を突きぬけて出た言葉は、「おおー」だったかなあ。
「御来光」、「日輪様」、どんな呼び方にしても、自然と手を合わせ、感謝を持って拝まずにはいられないものですね(^人^)。
一呼吸を置いて、ゆっくりと心を落として見渡すと、そこには、凪の静けさの如くの白き雲海、そして浮かぶ島々、はるか彼方の山並みにその名を記憶に問いかけつつ、視線をゆっくりと移してゆくことができる時の流れを、森吉権現様は、お与えくださいました。
問いかけの応えは、岩木山、八甲田山、八幡平、岩手山、秋田駒ヶ岳、鳥海山、和賀岳、真昼岳、太平山、白神山と言ったところだったでしょうか。
それらの風景の納まった記念写真をお届けすることは、毎度のことながらないのです、すいませんです^^;。生意気で恐縮なのですが「無いけれど在るもの、そんな形もいいものだなあ」と考えております。
「残雪と沢は、水を生み出し、生命を支える源となる。ここぞとばかりに今を咲き乱れる花の色やにおいが心を和ませてくれる、と同時にその蜜を求め飛ぶ虫の、健気な命を慈しむ。木々の緑と木漏れ日の光に目を細め、岩と信仰に修験者の勇ましさを想う。
見渡す空と大地の間に立って、命在るものと、その命を育むものとの関係のなかに、人間一人、只一個の自分がいる。山というものは、それら八百万の全てを包括して、どっしりとそこにおらっしゃる存在・・・」
などと想いつつおれば「カッコ―(過去―)」と鳴く鳥に、瞬時に移ろいゆく時の流れの無常を想ったりもして(笑)。
森羅万象に触れ、五感を通じて内に入り来るものに、それぞれ皆さん個々の感性で、タイミングで、シャッターを押していらっしゃる。そうして脳裏に、あるいは心に、しっかりと焼きつけていらっしゃることと想っております。
それは「無いけれど在るもの、そんな形」・・・人に見せる形には無いけれど、いつも一番身近な処に在って、時に力を貸してくれる。そんな確かで素敵な心の写真やアルバムなのではないでしょうか。
そしてその写真やアルバムを開き、時にご家族やお友達、お孫さんに森吉の風をお裾分けしておあげいただけたならば、私達もこれもまた多少の縁を想い、森羅万象を含む大いなる繋がりとして感じ得て、とても幸いな心持ちでございます。
記念写真の代わりと言っては、たいへんおこがましいのですが、この坊主頭の中の想いを少々文字に起こして書かせていただきました、感笑文としてご一笑くださいませ、はははっ。
有り難うございました(-人-)
今後ともよろしくお願いいたします。
二〇〇九年六月三〇日
KOH
追伸
早朝の森吉の頂きでご来光を仰ぎ観た景観は、神々の朝会でした。
当日のご出席は、森吉権現様を議長に、岩鬼権現、八甲田権現、八幡平権現、鳥海権現、岩手権現、秋田駒権現、白神様と言った面々だったのでしょうか。
白い広大な雲海テーブルに一同お着きになられ、太陽神のご登場をもってはじまった会議。梅雨らしく竜神様も東の空を舞いながらのご出席という荘厳な風景、いや会議でした。
そおっと瞑想をして、その会話に聞き耳を立ててみると・・・聞こえてくるのは鳥の声。
ホ―ホッケキョ・・・チチチチ・・・
法華経・・地地地地・・・でしょうか、ははは。
自分には、「法華経」と「地」というイメージから、法華経に帰依し、農学校の教師となり、やがて修行僧さながらの社会実践活動を行い、農業従事者へ向けた親身な土地改良方法の普及活動へと向いてゆく宮沢賢治を思い起こしました。救いの源流を求めるかのように土の改良活動の原料を作る仕事に着き、それが命を削る結果に。
彼は、この世の形としてはもう居ませんが、今も私達の心に確実に生きて(活きて)居ます。今もなお私達の心の黒板に「裏ノ畑ニ居リマス」と微笑みをたたえつつ書いている姿が思い浮かびました。
神々の朝会の散会は、白きテーブルをおしまいになられた時・・・なのでしょう。
あやや、ついつい、長い追伸になりました、すいません。