忍者ブログ
ADMIN / ENTRY
2024
04
<<  >>
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。


玄米と白米のつづき


●玄米と白米

「しろ」は、「しいろ」と先に書きました

そして「死色」とも

そう書いておいて何ん何んですが

「志」でも「知」でも「紙」でもいい、要するに「し」と読めるのであれば、その本質はコトタマの「し」が秘められています

簡単に言えば、サンスクリプトを漢字に置き換えた三蔵法師玄僧や鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう)の般若心経と同じです
同音あるいは近しい音での、その音がその場合に意味することを
漢字のなかから選んで充てたのです

もちろんそれはとても智恵のいることだったでしょう 

けど大事なのは、本質です

「し」が「死」である例が、この玄米と白米の関係からも観てとれます

「玄米」は、発芽しますが、「白米」は、(自然な意味で)発芽することは出来ません

つまり「玄米」は、生きています
私たちは、生命を戴いているということになります

一方の「白米」は、生きていると云えるのでしょうか

「籾」や「玄米」には、命を繋ぐ何か生命の素が存在していますが、「せいまい」した途端にそれは失われます

「せいまい」・・・「精米」と書きますが、精霊の「精」、生命の「せい」、つまりコトタマでの「せい」としては同じです

そう考えるとなんだか切ないです

白米は、大きな意味の於いてもはや「死」んでいます

つまり「しまい」なのです
「お終い」・・・は「しま」ですから違いますね

無理に漢字を充てるのあれば、近のは、「止」ってところでしょうか

人の生命に採り入れさせていただくことで、活かされてはゆきますので「活き」ているとは云えますが・・・

やはり広義では「し」でしょう


「白米」の場合は、活かされないの状態の「し」という意味での「し」です
それを漢字に求めるた時、漢字の編纂者は「死」を選択したのか・・・

そうではないですね

基本としては、生命を失った状態の「し」というコトタマに「死」の字を充ててt共通認識としたのです

白米は、米として生命を繋ぐことはできなくとも「死=し」とは云えないのだと想います

「志」は持っているのに、それが出来ないとしたら

辛いなあ

生きているの死に体です

とも使いますね

「白米」の置かれた状況も、そうなのかも知れませんね

あなたならどんな漢字を充てますか

●変形としての「白」と「黒」

 はく
 しろ

 こく
 くろ


 「はく=しろ」で「こく=くろ」です

「ろ」も共通でしたが、「く」もまた共通・・・

ほんとうに偶然なのでしょうか

しかも縦に読むと「白」は、「はし」と「くろ」、黒は、「こく」と「くろ」です 

両方に「くろ」が入ります

なんだか謎掛けのような気を受けます



つづく





 

PR
11月18日0時過ぎに大部書き換えました、すいません
再読いただけますと幸いです



「白」と「黒」・・・「しろ」と「くろ」の話「つづき」の「つづき」です

そろそろ本題に「灰」らねばあ・・・

●「般若心経」における「色」について

少し繰り返しになりますが

 白は、「何も無くて、無限であるもの」
 黒は、「零であって、全てであるもの」

でした、その反対でも同じ事です

 「無限であって、無であるもの」
 「全てであって、零であるもの」


「般若心経」のなかで観自在菩薩が舎利子に話しかけます

 色不異空
 空不異色
 色即是空
 空即是色
 受想行識亦復如是
 舎利子
 是諸法空相

 色は空に異ならず
 空は色に異ならず
 色は即ち空である
 空は即ち色である

この「般若心経」での「色」と、その対極に在る「空」

「般若心経」の解説の多くが

 「色」は「物質」だとしています

そして「般若心経」の最大のテーマであろう

 「空」を「性質や実態(実質)のない物」

としています
まんまだと

 物質は、性質や実態(実質)のない物と異ならず
 性質や実態(実質)のない物は、物質と異ならず
 物質は、即ち性質や実態(実質)のない物である
 性質や実態(実質)のない物は、即ち物質である

理解できますか

意訳では、
 
 「色」は「物質=肉体」で
 「空」を「性質や実態(実質)のない物=霊体」

としているものもあります

 RGBの「虚=霊」、CMYKの「実=肉体」にも奇妙に符合します


「肉体」は、滅び「無」に帰し、「零」に戻る

肉体を物質として冷めた見方をするならば、
 
 細胞→分子→原子と細かくなり
 原子は、原子核(中性子+陽子)の周りを電子が回っているものでしかない
 それらの集合体を肉体と呼んでいるに過ぎない
 そして仮に電子が停止したなら、姿は見えない(なんてことはありえない・・・が)
 つまり原子の集合体として認識できなくなるからです

 電子が零・・・ならば数としては「零」なのに存在するとすれば
 それは「無」なのに「無」ではない
 それが「霊」を示すものなのでしょうか

「霊体」がもし存在するのであれば、輪廻転生により霊は「無限」の存在である云えるでしょう

 零=無=霊=空とも観ることができるように想います

 姿が「無」きもの、しかし本質がそれで、それが「全て」である・・・ということなのだろうか
 

●KOH察の語源

「しろ」は、「しろし」だったのでしょう
否定する気はありません

「しろし」には、「輝くもの、はっきりしたものという」意味がある
そうでしょうね

でも「しろ」も「くろ」も、語源は、はっきりしていません


語尾に「ろ」の共通性があることは、先に述べました

その「ろ」は、KOH察では「いろ=色」の省略です

つまり「しろ」は、「し いろ」の詰まったもの

そして「くろ」は、「く いろ」であったのでしょうが
さらにもう一歩踏み込んで「くう いろ」だったとKOH察しています

●「し」と「くう」


「しいろ」の「し」は・・・「死」でしょう

ちょと強烈過ぎますかね

では「死」とは何か・・・難しいテーマです

「くう いろ」の「くう」は・・・「空」です

 死色不異空色
 空色不異白色
 死色即是空色
 空色即是白色

なのです

 何も無くて、無限であるものは、零であって、全てであるものに異ならず
 零であって、全てであるものは、何も無くて、無限であるものに異ならず
 何も無くて、無限であるものは、即ち零であって、全てである
 零であって、全てであるものは、即ち何も無くて、無限である

あれっ、ますます理解できない・・・すかあ


●光と「白」と「黒」


「光」とは何か

「光」は、自然科学の分野でも完全にわかってはいないのです

「光」は、「波動」と「粒子」の二重性をもっています

「波動」であることを強調する場合は「光波」
「粒子」であることを強調する場合は「光子」

と呼ばれています

色彩とは、光の反射を観ること

全波長において高い反射率で乱反射する物体は、「白」と呼ばれます
全波長において反射がほとんど無い場合、その色は、「黒」と呼ばれます


簡単に言ってしまえば
「白」は、光の「波動」と「粒子」を反射してまうので、「何も無い」
「黒」は、光の「波動」と「粒子」を吸収してまうので、「全て有る」
と云えます

云えるかなあ・・・

そしてまたまた、また「つづく」のでしたあ

    

 1円玉で世界を緑にしちゃおう祭り

~地球に緑と笑顔が増える植林フェスティバル~

今、地球は雨が降らなくなっている
この瞬間も、森が消え、砂漠が広がっている

やがて世界中で水の戦争が起こるかもしれない

未来のために、今、何が出来るんだろう?

そうだ
木を植えよう

木を植えれば 緑が増え 雨が降る

虫も 花も 人も 地球も みんな喜ぶ

心に木を植え
日本の森を元気にし
世界中に緑を増やしていこう

微力は無力じゃない
微力のつながりこそが、世界を救う

母なる地球に
緑と、笑顔と、感謝の量を増やすために

世界中に、希望の風が広がっていきますように

日本の森づくりや、海外での植林を展開しよう

                 AZUMIC

カレンダー
03 2024/04 05
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
山彦恵方
HP:
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
お天気情報
Powerd by NINJAブログ / Designed by SUSH
Copyright © 山彦恵方 『深山回峰・森羅瞑想』 All Rights Reserved.
忍者ブログ [PR]