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船形山の北に、薬師岳があるのをご存じでしょうか
国土地理院の地図には、1456mと記載されているだけです

薬師岳というのですから薬師如来を祀っていたのでしょうか
今は、登山道もなく、藪を漕いで行くしかなく、私も行ったことがないので祠の有無を確認したことはありません


薬師如来は、言うまでもなく仏教のカミです

梵名バイシャジヤ・グル、大乗仏教における如来の一尊で、別名として薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)、またの名を大医王仏とも称します

薬師のヤクに「薬」の字をあてたので医仏として、全国各地に祀られて庶民に密接した信仰を集めています

仙台に住んでいると薬師堂という地名を想い出します
薬師堂と言えば、陸奥國分寺、そしてその本尊が薬師如来です
陸奥國分寺は、741年に聖武天皇が国情不安を鎮撫するため、各国に建立を命じた寺院です
正式名称は、国分寺が金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)で、近くにある国分尼寺の方は、法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)というのです

寺名は、金光明四天王経という国家鎮護を説く経典が納められていることにちなんでいます

でも、なんで薬師如来を本尊にしているのでしょうね・・・またの機会に

薬師如来は、単独像として祀られる場合もありますが、これまたなぜか、日光菩薩・月光菩薩を脇侍とした薬師三尊像として安置される場合が多いのです

ここからが本題です

薬師如来の、インド名は、「ヤクシャ(Yaksa)」です
日本、中国では、音訳して夜叉、薬叉と書きます
と言うと、「まさか・・・」となりますかね
仏教説話などでは、血肉を食らう恐ろしい悪魔となり果ててしまっていますが、大きな誤りです

しかし本来のヤクシーは、山、樹木の精霊(だった)のです

その後、豊穣を司る大地母神とされます
母神なので女性形のヤクシーと呼ばれたのです

つまり薬師如来は、女神なのです
そういわれて見ると薬師如来も豊満な肉体の女性の姿で現わされていますよね

 森や野原にあらわれ、ヒマラヤ山中に隠されている天界の財宝を護る役目を担っているとも言われるヤクシーその出処は、ドラヴィダ人という民族の農耕の女神であり、水や大地の恩恵を象徴していました

このように、ヤクシーは、古代信仰の自然崇拝から生まれた精霊であり、農耕の発達とともに神となった存在なのです

薬師如来とは、豊穣を司る大地母神であると同時に、いにしえの時代には、森、水の神であり精霊であったのです

その薬師が、なぜ船形山の直ぐ隣の山名となっているのでしょう

それは・・・大体察しはつきますかね、でもこのつづきは・・・

何時の日にか、つづく お楽しみに~
 

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以前『「仙台カゴ」と「最上カゴ」の名称は、戦国時代以降の呼び名と考えて良いのではないでしょうか』と結びました
カゴを“加護”とする説は、なんとな~く説得力、有りますよね

でも由来にまでは、至っていない
そこで再考してみましょう

もし“加護”だとしたら、“加護坊山”のように、“仙台加護”と“最上加護”と漢字で書いたら良いと想いませんか
なんで片仮名なのでしょう、不自然さを感じます

では、鹿児島県の「かご」の由来となったとされる「崖」の古語(倭御?縄文語?)なんでしょうか

Wikipediaで「鹿児島市」を調べるとこう説明されています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82

「鹿児島」という名の由来は、野生の鹿の子(鹿児)が多く生息していたからとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたから、火山を意味するカグという言葉から由来した等諸説ある。さらに、神話から来たという説もあり現在でもどれが正しいか確定していない。しかし、「カゴ」は崖という意味の古語であり、桜島の四方が崖になっていたので島名を鹿児島(麑嶋)と称する様になり、それが対岸の神社名(鹿児島神宮)として定着し、更には郡名に拡大したという説が有力である。

参考に桜島(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%B3%B6)もご覧いただくと良いでしょう

それと「鹿児島はなぜ鹿児島と言う?
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/1712053.html)」ブログに歴史的な話が詳しく書かれていて興味深いです

この説明が正しいとすれば単に「崖」を指すのではなく、「四方が崖になった場所」のことを「かご」というのかも知れません
確かに両「カゴ」とも四方が「崖」です
単に「崖」ではく四方である条件であれば、この近くある黒伏山の大岩壁をもって「黒カゴ山」としないも頷けます

しかし「かご」が古語というけれど、では何語なのでしょう
そもそも古語ということを明確に定義するのは、難しいです
それはアイヌ語だったのかもしれませんし、倭語?とか縄文語?あるいは大和言葉?だったのでしょうか
つきとめていくと言語学の分野になってしまいますので止めましょう

そういう意味では「かご」が、「四方が崖」の場所を示す古語だったという説の“真の根拠”は、わからないと言えます

さて今回の結論は、「四方が崖」の場所を示す古語ということにしたいと想います
が・・・
しかしこの“カゴ”、“カグ”がアイヌ語だったのか、それには否定的です

アイヌ語で、火を意味するのは“ape”です
“エミシ(蝦夷)”の英傑“安倍の貞任”の“安倍”は、この“火”の「あぺ」を漢字に充てたのではないかという説もあるのです

鹿児島県といえば、“薩摩隼人”、東北の“エミシ(蝦夷)”同様、大和朝廷から「まつろわぬ民」として征伐という侵略を受けた民族国家としては共通しています
“カゴ”、“カグ”は、おそらく九州地方の先住民族“隼人”の言葉だったのではないでしょうか

その “隼人”が“エミシ(蝦夷)”と共通の言葉を話していたとは、どうしても考えられないのです

今回の結論は、大胆な推測で終わりたいと想います
地図を作成したのは、明治の陸軍です
当時の軍は、薩摩、長州、土佐の出身の将校が中心となっていました
ということは、測量チームのなかにも鹿児島出身者がいたのではないかという思いが自然に起こります

わが国の三角測量を創業した田坂虎之助は、広島藩
陸地測量師 館潔彦は、「一等三角点の選点者で桑名藩の出で、アルプスから九州、四国、中国、北海道、そして千島の果てまで日本国中の山野を跋渉した人物」と紹介されています
おそらくは、東北も含まれていたのでしょう
この他に随行者に阿蘇沼次郎、三輪輔之の名もありますが、出身地まで調べることはできませんでした

要するに、そのスタッフが現地案内人に「仙台カゴ」と「最上カゴ」を指して山名を尋ねたが「わからない」だった

名無しの山とするには、見事な容姿、そこでスタッフは、「四方が崖」となっている地形なので、故郷の言葉「カゴ」とし、同様の山が二つあるので、当時の藩名で区別して名づけて表記した・・・のではないでしょうか

四方が崖であることを表した言葉なのでしたら、山や嶽などを付けなかったことにも納得がいきます

実際に、案内した方の記録でも残っていれば、確定なのですが、今のところKOH察の域をでません
今回は、これにて結びとさせてくださいませ~

まだ考察は、つづきそうです
 


船形山は、御所山とも呼ばれていることは、皆さんの知るところだと思います
それは山形側の呼び名です

仙台側では、「船峠」、「船ヶ嶽」でした
「ふながだけ」のけが無くなり「ふながた」となったようです
ちなみに泉ヶ岳も「泉ヶ嶽」でした

御所山と書くのは、承久の乱で佐渡に流された順徳天皇がこの山に隠れ住んだという伝説の延長上にあります

御所神社の縁起によれば

承久の役で佐渡へ流された順徳上皇が、その20年後に随従の阿部頼時の助けで佐渡を抜け出し
越後から庄内に渡り、最上川、丹生川と遡り御所山(船形山)に入った
その後正厳に移るが、寛元4年(1246年)に崩御した
後、頼時は、当地に聖廊を建て御所神社としたという

とのこと

その御所山と同音となる五所山の呼び名を御存じでしょうか
御存じ・・・ですよね、はい

全国の御所神社のかなには、五所の字を当てる場合もあるので特に異論はないですが
気になるのが、その根拠としてなるのは、「峰入り」と言われる修験者、山伏の修行の道として
五山を巡ったのだという話があることです

調べてみると峰入りのコースは、三つありました
こうです

1.月天森→日天森→御前峰→大峰→荒神山
2.黒伏山→月天森→日天森→大峰→荒神山
3.月天森→日天森→姥嶺→御前峰→大峰

確かにどのコースも五峰の回峰です
どの登山口から入っての回峰なのか、それも大事なポイントですが今はKOH察を避けましょう

ところで見慣れない山名がありますね
旧、新を置き変えてみましょう

月天森⇒最上カゴ
日天森⇒仙台カゴ
御前峰⇒楠峰
大峰(峯)⇒五所山⇒御所山
姥嶺⇒ウバ地蔵

船形山、いや御所山は大峰だったのです

時々みかける大峰と彫られた石碑は、船形山のことだったのかもしれません
とすれば、仙台側でも船ヶ嶽を大峰とする認識があったともいえます
それとカゴは、月天森と日天森と呼ばれていたこともわかりました
そこに触れるのは、またの機会にします

御所山を大峰と呼んでいたのに、わざわざ五所山と言うのでしょうか
あるいは言い直すなり、使い分けたりするのでしょうか
という素朴な疑問が起こります

第一、修験の世界で大峰といえば
世界遺産熊野古道の熊野参詣道へつづく大峯奥駈道が連想されますので
なおさらのこと、その疑問はますます強くなります

山岳信仰が盛んな頃は、御所山への表登山口は鶴子口だったといいます
今の御所山荘から、落合、カンベ坂、伊勢坊主分岐点、夫婦松と進み御所山頂へ至るのが表で
東根の観音寺口は、表ではないとも

確かに御所神社の奥の院が山頂付近にあること
その里宮が尾花沢にあるとする確固たる関係性が成立しますので
御所山の名は、尾花沢地方の呼び名だったと断定していいと思います

以上からKOH察の結果として
山形藩の民は「ごしょさん」と共通した音(おん)で呼び
文字変換は、尾花沢地方では、御所山していた
もしかすると東根地方では五所山としていたかも知れませんが記録はみつからなかったです
と結ばせていただきます

そして一番感心を引く結果となったのが、山伏の間で船形山を、大峯(峰)としていたことです

今回、調べている最中に、気になる点がいくつか出てきましたので
今後も機会をみて調べて書いてゆきたいと思います

●9/30:内容を大分、書き換えました

山の道を古(いにしえ)に照らし観る時、船形山の近くにありながら登山道のないそしてヘンテコな名称を頂く「仙台カゴ」と「最上カゴ」いったい何でこんなお名前なのか
そしてどんな意味を持っている御山様なのだろうか
そんな想いを長年持ち続けているのは、私だけなのでしょうか

この10月の3連休に、その両カゴを藪漕ぎし山頂に立とうと想い立ち調べることにしました
と書きつつも、結果としては、飯豊山に酔狂行者として詣でようとしているのですが
 ^^;

そもそも「カゴ」とは、どのような意味を持っているのでしょうか

一般説と言っていいだろうと想う、「加護」説が、正しいのでしょうか

仙台と最上は、戦国時代の怪傑、伊達正宗と最上義光のの所領に由来することに異論はないでしょう
現在も仙台カゴ上を宮城と山形の県境が通っています
それぞれの所領を御加護していただく守護神とての山だったのでしょうか
つまり仙台、最上のそれぞれを神々の御加護で御守りいただく願懸けの山だった、のでしょうか

加護のつく山と言えば、大崎市にある標高223.2mの山、加護坊山を連想します
あっそれだけなんで・・・脱線ですね、戻ります

想像の世界、いや空想の世界の話ですが
もしかして、両藩の見張り台があったのではないか、などとも考えてしまいます

山伏は、戦国時代に斥候的な活動を担っていても不思議ではないですし
実際に街道ではないにしろ道はあったことは事実ですから
ここを不意に越えられて攻め入られたのでは困ります
そいう意味でも監視は必要だった、と考えても違和感はないでしょう
ここからの見晴らしはとても良いですしね

他に、入れ物の籠をひっくり返したような形という説
鹿児島県の「かご」の由来となったとされる「崖」の古語(倭御?縄文語?)説
もあるようですが、ここでは省略させていただきます

長くなりましたが「仙台カゴ」と「最上カゴ」の名称は、戦国時代以降の呼び名と考えて良いのではないでしょうか

 

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