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玄米と白米のつづき


●玄米と白米

「しろ」は、「しいろ」と先に書きました

そして「死色」とも

そう書いておいて何ん何んですが

「志」でも「知」でも「紙」でもいい、要するに「し」と読めるのであれば、その本質はコトタマの「し」が秘められています

簡単に言えば、サンスクリプトを漢字に置き換えた三蔵法師玄僧や鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう)の般若心経と同じです
同音あるいは近しい音での、その音がその場合に意味することを
漢字のなかから選んで充てたのです

もちろんそれはとても智恵のいることだったでしょう 

けど大事なのは、本質です

「し」が「死」である例が、この玄米と白米の関係からも観てとれます

「玄米」は、発芽しますが、「白米」は、(自然な意味で)発芽することは出来ません

つまり「玄米」は、生きています
私たちは、生命を戴いているということになります

一方の「白米」は、生きていると云えるのでしょうか

「籾」や「玄米」には、命を繋ぐ何か生命の素が存在していますが、「せいまい」した途端にそれは失われます

「せいまい」・・・「精米」と書きますが、精霊の「精」、生命の「せい」、つまりコトタマでの「せい」としては同じです

そう考えるとなんだか切ないです

白米は、大きな意味の於いてもはや「死」んでいます

つまり「しまい」なのです
「お終い」・・・は「しま」ですから違いますね

無理に漢字を充てるのあれば、近のは、「止」ってところでしょうか

人の生命に採り入れさせていただくことで、活かされてはゆきますので「活き」ているとは云えますが・・・

やはり広義では「し」でしょう


「白米」の場合は、活かされないの状態の「し」という意味での「し」です
それを漢字に求めるた時、漢字の編纂者は「死」を選択したのか・・・

そうではないですね

基本としては、生命を失った状態の「し」というコトタマに「死」の字を充ててt共通認識としたのです

白米は、米として生命を繋ぐことはできなくとも「死=し」とは云えないのだと想います

「志」は持っているのに、それが出来ないとしたら

辛いなあ

生きているの死に体です

とも使いますね

「白米」の置かれた状況も、そうなのかも知れませんね

あなたならどんな漢字を充てますか

●変形としての「白」と「黒」

 はく
 しろ

 こく
 くろ


 「はく=しろ」で「こく=くろ」です

「ろ」も共通でしたが、「く」もまた共通・・・

ほんとうに偶然なのでしょうか

しかも縦に読むと「白」は、「はし」と「くろ」、黒は、「こく」と「くろ」です 

両方に「くろ」が入ります

なんだか謎掛けのような気を受けます



つづく





 

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