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以前『「仙台カゴ」と「最上カゴ」の名称は、戦国時代以降の呼び名と考えて良いのではないでしょうか』と結びました
カゴを“加護”とする説は、なんとな~く説得力、有りますよね

でも由来にまでは、至っていない
そこで再考してみましょう

もし“加護”だとしたら、“加護坊山”のように、“仙台加護”と“最上加護”と漢字で書いたら良いと想いませんか
なんで片仮名なのでしょう、不自然さを感じます

では、鹿児島県の「かご」の由来となったとされる「崖」の古語(倭御?縄文語?)なんでしょうか

Wikipediaで「鹿児島市」を調べるとこう説明されています
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B9%BF%E5%85%90%E5%B3%B6%E5%B8%82

「鹿児島」という名の由来は、野生の鹿の子(鹿児)が多く生息していたからとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたから、火山を意味するカグという言葉から由来した等諸説ある。さらに、神話から来たという説もあり現在でもどれが正しいか確定していない。しかし、「カゴ」は崖という意味の古語であり、桜島の四方が崖になっていたので島名を鹿児島(麑嶋)と称する様になり、それが対岸の神社名(鹿児島神宮)として定着し、更には郡名に拡大したという説が有力である。

参考に桜島(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E5%B3%B6)もご覧いただくと良いでしょう

それと「鹿児島はなぜ鹿児島と言う?
http://blogs.yahoo.co.jp/yan1123jp/1712053.html)」ブログに歴史的な話が詳しく書かれていて興味深いです

この説明が正しいとすれば単に「崖」を指すのではなく、「四方が崖になった場所」のことを「かご」というのかも知れません
確かに両「カゴ」とも四方が「崖」です
単に「崖」ではく四方である条件であれば、この近くある黒伏山の大岩壁をもって「黒カゴ山」としないも頷けます

しかし「かご」が古語というけれど、では何語なのでしょう
そもそも古語ということを明確に定義するのは、難しいです
それはアイヌ語だったのかもしれませんし、倭語?とか縄文語?あるいは大和言葉?だったのでしょうか
つきとめていくと言語学の分野になってしまいますので止めましょう

そういう意味では「かご」が、「四方が崖」の場所を示す古語だったという説の“真の根拠”は、わからないと言えます

さて今回の結論は、「四方が崖」の場所を示す古語ということにしたいと想います
が・・・
しかしこの“カゴ”、“カグ”がアイヌ語だったのか、それには否定的です

アイヌ語で、火を意味するのは“ape”です
“エミシ(蝦夷)”の英傑“安倍の貞任”の“安倍”は、この“火”の「あぺ」を漢字に充てたのではないかという説もあるのです

鹿児島県といえば、“薩摩隼人”、東北の“エミシ(蝦夷)”同様、大和朝廷から「まつろわぬ民」として征伐という侵略を受けた民族国家としては共通しています
“カゴ”、“カグ”は、おそらく九州地方の先住民族“隼人”の言葉だったのではないでしょうか

その “隼人”が“エミシ(蝦夷)”と共通の言葉を話していたとは、どうしても考えられないのです

今回の結論は、大胆な推測で終わりたいと想います
地図を作成したのは、明治の陸軍です
当時の軍は、薩摩、長州、土佐の出身の将校が中心となっていました
ということは、測量チームのなかにも鹿児島出身者がいたのではないかという思いが自然に起こります

わが国の三角測量を創業した田坂虎之助は、広島藩
陸地測量師 館潔彦は、「一等三角点の選点者で桑名藩の出で、アルプスから九州、四国、中国、北海道、そして千島の果てまで日本国中の山野を跋渉した人物」と紹介されています
おそらくは、東北も含まれていたのでしょう
この他に随行者に阿蘇沼次郎、三輪輔之の名もありますが、出身地まで調べることはできませんでした

要するに、そのスタッフが現地案内人に「仙台カゴ」と「最上カゴ」を指して山名を尋ねたが「わからない」だった

名無しの山とするには、見事な容姿、そこでスタッフは、「四方が崖」となっている地形なので、故郷の言葉「カゴ」とし、同様の山が二つあるので、当時の藩名で区別して名づけて表記した・・・のではないでしょうか

四方が崖であることを表した言葉なのでしたら、山や嶽などを付けなかったことにも納得がいきます

実際に、案内した方の記録でも残っていれば、確定なのですが、今のところKOH察の域をでません
今回は、これにて結びとさせてくださいませ~

まだ考察は、つづきそうです
 

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