[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
船形山は、御所山とも呼ばれていることは、皆さんの知るところだと思います
それは山形側の呼び名です
仙台側では、「船峠」、「船ヶ嶽」でした
「ふながだけ」のけが無くなり「ふながた」となったようです
ちなみに泉ヶ岳も「泉ヶ嶽」でした
御所山と書くのは、承久の乱で佐渡に流された順徳天皇がこの山に隠れ住んだという伝説の延長上にあります
御所神社の縁起によれば
承久の役で佐渡へ流された順徳上皇が、その20年後に随従の阿部頼時の助けで佐渡を抜け出し
越後から庄内に渡り、最上川、丹生川と遡り御所山(船形山)に入った
その後正厳に移るが、寛元4年(1246年)に崩御した
後、頼時は、当地に聖廊を建て御所神社としたという
とのこと
その御所山と同音となる五所山の呼び名を御存じでしょうか
御存じ・・・ですよね、はい
全国の御所神社のかなには、五所の字を当てる場合もあるので特に異論はないですが
気になるのが、その根拠としてなるのは、「峰入り」と言われる修験者、山伏の修行の道として
五山を巡ったのだという話があることです
調べてみると峰入りのコースは、三つありました
こうです
1.月天森→日天森→御前峰→大峰→荒神山
2.黒伏山→月天森→日天森→大峰→荒神山
3.月天森→日天森→姥嶺→御前峰→大峰
確かにどのコースも五峰の回峰です
どの登山口から入っての回峰なのか、それも大事なポイントですが今はKOH察を避けましょう
ところで見慣れない山名がありますね
旧、新を置き変えてみましょう
月天森⇒最上カゴ
日天森⇒仙台カゴ
御前峰⇒楠峰
大峰(峯)⇒五所山⇒御所山
姥嶺⇒ウバ地蔵
船形山、いや御所山は大峰だったのです
時々みかける大峰と彫られた石碑は、船形山のことだったのかもしれません
とすれば、仙台側でも船ヶ嶽を大峰とする認識があったともいえます
それとカゴは、月天森と日天森と呼ばれていたこともわかりました
そこに触れるのは、またの機会にします
御所山を大峰と呼んでいたのに、わざわざ五所山と言うのでしょうか
あるいは言い直すなり、使い分けたりするのでしょうか
という素朴な疑問が起こります
第一、修験の世界で大峰といえば
世界遺産熊野古道の熊野参詣道へつづく大峯奥駈道が連想されますので
なおさらのこと、その疑問はますます強くなります
山岳信仰が盛んな頃は、御所山への表登山口は鶴子口だったといいます
今の御所山荘から、落合、カンベ坂、伊勢坊主分岐点、夫婦松と進み御所山頂へ至るのが表で
東根の観音寺口は、表ではないとも
確かに御所神社の奥の院が山頂付近にあること
その里宮が尾花沢にあるとする確固たる関係性が成立しますので
御所山の名は、尾花沢地方の呼び名だったと断定していいと思います
以上からKOH察の結果として
山形藩の民は「ごしょさん」と共通した音(おん)で呼び
文字変換は、尾花沢地方では、御所山していた
もしかすると東根地方では五所山としていたかも知れませんが記録はみつからなかったです
と結ばせていただきます
そして一番感心を引く結果となったのが、山伏の間で船形山を、大峯(峰)としていたことです
今回、調べている最中に、気になる点がいくつか出てきましたので
今後も機会をみて調べて書いてゆきたいと思います
行歩KOH(考) << | HOME | >> 仙台カゴと最上カゴの呼び名KOH察 |