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先日、10、11日と飯豊山に行ってきました
スタート時は、まずまずの天気、途中から雲の中に突入し雨具を着込む、1900m付近から雪となり、本山小屋に着くと本降り、夜半からは吹雪
数メートルしか離れていないトイレに行くにも命懸・・・何も見えない・・・ホワイトアウト・・・
ダイグラ尾根を10時間、翌日、下りにはダイグラ尾根を使うのは、天候上危険と判断し梶川尾根を下山、歩くこと11時間、途中日没となりヘットランプをつけての行動、まさに行歩となった飯豊酔狂行者3名プラス道連れ同行の若者1名でした
その飯豊・・・
東北人にとって飯豊、そして北隣の朝日は、何やら特別の山のように思います
その「何やら」は、皆、自分自身もわからないまま、とにかく「何か」に対して感情を移入している
そんな御山様のように感じます
その「何か」とは・・・
イイデの、イはエとの中間の発音で、エエデと言われていました
エエデというのは、アイヌ語(縄文語の説もあります)で、
「尖がった(円錐状の)山であってカミの住むところ」というような意味を持っています
飯豊山を新潟方面、エブリサシから眺めると、巨大な円錐状の御山様に観えます
いつか機会がありましたなら確認してみてください
大日を含めて飯豊連峰が一望できます
朝日連峰の大朝日も小朝日も綺麗な円錐状の御山様です
東北では、大なり小なり尖った円錐状の御山様を、いにしえから信仰の対象としてきましたので、その名残りとして今も多くの祠が残っています
また東北の山には、「森」とつく山が数えきれない程多くあります
特に宮城から北に多くあります
このモリは、アイヌにとって「大きな木のある小高いカミの住む土地(オカ)」というようなニュアンスを持っています
いわゆる「鎮守の森」と考えると理解しやすいですかね
少し時代が新しくなりますが、エミシ(蝦夷)と呼ばれた東北の山岳民族は、大岩を信仰していました
岩木山や、岩手山などは、御山様なのですが、岩神様でもある代表的な例です
アイヌから引き継がれた、そのモリとイイデの関係性、そしてエミシの岩信仰・・・
そこに大陸からの仙道思想、魂魄思想が入ってきて「ミ山とハ山」という東北人独特の民間山岳信仰を生みだします
ミには、「深」や「御」の漢字をあて、ハには、「葉」、「羽」、「端」などをあてたりします
つまり漢字が輸入される以前の信仰だったのですね
人が死ぬと里に近い先の尖った円錐の小高い山、つまりハヤマに埋葬します
3年をかけて、魄(身体)が大地の土に還って行きますと魄から魂が離れてミヤマに登って行く・・・
魂は、山頂上付近にある大岩の裂け目から霊界に入る
人が生まれるということは、その土地に生まれた魄に
ミ山の岩の裂け目から魂が出て、母の胎内に入り込み
そして命が誕生する、つまりこの世にイデることなのだと考えていました
生命の神秘、母の胎内と岩の胎内
今も胎内くぐりと名を持つ岩場は多くみられますね
イイデは、この地方の神聖なるミヤマなのです
生命の誕生の魂ロードは、新潟方面であれば
イイデの山頂の岩群から地神、カイラギなどの峯を渡り、エブリサシから胎内(地名)へ降り生まれイデるべき土地と母の胎内に向かうのです
福島方面では、ご秘所岩からイデていたのかもしれません
そんな信仰の記憶が、「何か」であって、飯豊山にたいする畏敬の念なのかも知れません
それとこの魂の循環性と大日のような、太陽信仰は、どこかエジプトのピラミッドを連想させると
あなたは思いませんか・・・
※このKOH察は、KOHのオリジナルです
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