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お堂の「どう」は、洞の「どう」と同じです。
波動の「どう」も道路の「どう」もコトタマとして観た時、その根源は同じです。
滝の音はどう(洒落ではありません)聞こえますでしょうか。
「ごおー」かなあ、「どおー」とは聞こえませんでしょうか。
永遠に続く音の響き、流れ続ける音、「どおおおおおお」です。
少し細やかに書くと「どおどおどおどおどおどお」でしょう。
「氣」の集まる穴のような時空間を音として耳で捉えると「どおー」です。
ちなみに太鼓の音は、「どん」や「どおーん」です。
花火の音も同じですね。
この太鼓や花火の音、耳にはもちろん聞こえますが、身体でも捉えられませんか。
音としての波動の他に、身体のどこかにも響きます。
それを最も強く感じる場所は、お腹です。
経絡で書くと「丹田」です。
つまり「氣」を感じやすい場所は、「丹田」です。
それは、言い方を変えると人間の身体で「氣」の集まる穴とも言えます。
波動との関係性は、そういう側面もあるといくことを認めてやってくださいませ。
音は、聞こえるから在る。
そして振動として身体で感じることができる。
耳をふさいでも音を感じることはできますからね。
五感ではない感覚を、人は認めにくいものです。
そして在ると想えるもの、あるいは知識として認識しているもの以外を感じて心に受け容れることは難しいのです。
堂や洞は、五感では捉えにくい波動を感性で、いや霊性で感じるためのお腹と同じような場所なのです。
それと同時に、そのための増幅装置の役割もあります。
そして頭ではなく、お腹で感じるようにしてみてください。
御堂で仏に対峙すると言う行為は、五感では感じ得ない仏の何らかの波動を感じ易い環境に自らを置く事なのです。
ためしに御堂や洞窟で1本で良い、蝋燭に火を灯して瞑想してみてください。
光を、お腹で感じることができる・・・かも知れませんよ。
いや・・・それはできるのです。
あなたの内側に、霊性として、それを感じることができる能力が潜在して在るのですから。
※部屋でやる場合は、窓を開けた夜にやるといいです。