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「断捨離」に想う

「動禅として活きる」という想いが心の根っこに在ります。

「禅」が自分という人を、つまり自分の心の構成部品として在ることを認めているのです。
「禅とは」と人に言葉を持って説明することは、自分には難し過ぎてできない。
でも自分でなくとも、多くの日本人の心の部品のひとつとして「禅的な心」があることでしょう。

少し観る角度を変えて「禅的な生活」という言葉で問うたらどうなるのだろうか。

「シンプル・ライフ」・・・カナあ、片仮名になってしまった(笑)。
ライフは「生活」であってもいいし、「一生」とか、「命」と観ても善い。

今、NHKで「坂の上の雲」を毎週日曜日20時から放映されています。
自分が、司馬氏のその小説を読んだのは、いくつの頃だったろうか。

主人公のひとり秋山好古の「男児たるもの一事を成せば足る」

という言葉は、今もこの胸の奥に刻んで、いや、刻まれていて、それを消さずに持っています。
実にシンプルでいて、なおかつ心に染み入る言葉です。

その「一事を成せば足る」の持つ言葉の響きと、かかる言葉として頭に位置する「男児」、
簡潔さのなかにじっとしては居られない想いが駆けだすのを覚え熱き血潮をたぎるらせるに十分な力を秘めています。

憧れの活き方・・・と云っても良い。

「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢幻の如くなり……」という信長の人生の規定感を映す敦盛の一節。
人生を一場の芝居とし、五十年を一生という単位に区切り「百万人と言えども我いかん」とこの世に凄む姿。
そこにまさに「一事を成せば足る」と命を燃焼し尽した信長という人物が浮かびあがって観えるのです。

信長という人に想いが自然と重なる時、さらに想いは巡りはじめ、
蒼き狼と呼ばれた、あの草原の英雄チンギスハーンに想いは馳せるのです。

世界の大半を統一したモンゴルの遊牧の民。
彼らは、家も持たず、土地も所有せず、死して墓も作らず、財産は身につけれるものと数頭の馬につけれる荷、
それと生命の支えである馬と羊達のみ。

「天の下の大地を一生という単位を持って間借りしてしているだけなのだ」という姿勢を崩さなかった。
チンギスハーンを埋葬した場所は、未だに見つかっていない。
まさに「シンプル・ライフ」そのものです。

漢(おとこ)は、現世に於ける死生観を、禅や武士道の持つ簡潔さに、敦盛の一節や蒼き狼に重ねるものです。
こういう気概を持って「断捨離」を観る時、その内なる精神性に好古や信長やハーンに共通の志が通っている気がします。

死して何も物質を残さない、この世への執着を捨てた、いや生に頓着しない爽やかな潔さを感じます。

●リンク
山彦恵方>断捨離
 

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