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登山者が口にする「百名山」とは、深田久弥氏の著書『日本百名山』にて、彼がその本に掲載した百の山のことだと云って異論を唱える人はまずいないでしょう。

その百座は、あくまでも深田久弥氏個人が選んだ山であることに、否定できない特異性があります。

私は、登山というと単に百名山にのみ注目が集まることに、多少の違和感を持つ派です。
そこで臍が曲がっていることを十二分に認めつつ「深田百名山」と呼びたい気持ちが強くなるのです。

臍は曲がっていても、深田氏によって選ばれた百座の御山様が、「それは違うでしょ」という難癖をつけれるようなハズレがないのは事実です。
見事なまでの名山揃いに感服させられます。

多少の違和感というのは、飯豊連峰であれば、その最高峰大日岳がいい例なのかも知れません。

大日を飯豊山側、御西小屋辺りから観たお姿の荘厳さは、「むしろ飯豊山以上のものがあるなあ」と感じるのが正直な気持ちです。
しかし飯豊山をえぶり差しから眺めると、その山塊の巨大さと尖がった円錐状のお姿に、深山信仰の条件へ合致するのを素直な畏敬の念を持って覚えるのです。

飯豊山と大日岳・・・もし私がこの飯豊連峰から一座を選択するのならば・・・やはり大いに迷います。

そしてそれは深田氏もそうだったのだろうと自身に還るのです。
彼は、飯豊山を百座の一員として選んだ。
その結果、飯豊連峰の首座たる御山様は・・・それは、飯豊大権現の坐(おわす)飯豊山と誰もが認めるところとなっているのです。

不遇の大日岳・・・でしょうか。

大日岳は、かの大日如来名を戴く御山様です。
当然信仰の対象でもあったでしょう。
しかし飯豊山の講のように民衆とともにあったという信仰の形跡があまりにも薄いのです。
頂には、祠も社もない。
それは新潟の気候の厳しさがあったからかも知れません、がしかし、それを云ってしまっては、他の御山様にお叱りをいただきます。

深田氏は、選択の基準のひとつに「歴史」を上げていますが、それは山岳信仰の歴史に他ならないのです。

山伏の修験の場という厳しさに一般の民衆が容易に近づくことができない名峰の御山様もあったでしょう。
彼が着目したのは、そういう特殊な信仰より、むしろ民とともに在った在野精神的な心の拠り所の信仰の御山様を選んだように思われます。

百名山ピークハンター(失礼)が飯豊を訪れる際、大日岳は、無視することのできない登山対象となっています。
もちろん飯豊連峰の最高峰という単純な理由もあるでしょうが、そのお姿そのものに大きな魅力を秘めています。
その証拠に、と云っては大袈裟かもしれませんが、早朝ヘットランプの列が大日へと続くのです。
ご来光を拝もうと大日に向かう山人の多さは、飯豊山をはるかに凌いでいると想います。


結局、飯豊に来る山人は、大日岳を無視できないし、目指さずにはいられないのです。

そこまで深田氏が計算しての選定なのであれば・・・と想いが巡ると、それは凄すぎると想えて来ます。

さらにそう想うと・・・。
はてやもしやという想いが頭をもたげます。
深田氏が民衆に密着した深山(みやま)を選択したことは事実。
ということは、私達は、知らず知らずのうちに、いや意識の他で、深田久弥氏が、これぞと選りすぐった百座を登るということが、すなわち「深山百座を回峰をしていることなんだ」となります。
あるいは日本百奥院詣での巡礼をしていると言ってもいいですね。


古代、自然信仰からはじまったとされる山岳信仰、そして仙道の行者、密教の修行僧、山伏が修験の為に拓いた道を歩いている。
いや歩かされているのかも知れません。
これが彼の隠された真意、願い、狙い・・・なのだとすれば、深田百名山は、「御山様をつうじての『霊性復古』の為の、お百度参りの願掛け」を仕掛けたものと観ることも・・・できますね。

もしそうなのだとしたら、「してやられたり」です。
痛快な気持ちで大笑いするしかないなあ・・・「はっはっはっはっ波っ~」。

深田百名山・・・畏れ入りましたあ。


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仙台カゴと最上カゴと楠峰に藪を漕ぎに行く予定です

以前、[御所山の呼び名KOH察」
http://yamabikoehohnet.blog.shinobi.jp/Entry/34/
にて、以下のように紹介しました

月天森⇒最上カゴ
日天森⇒仙台カゴ
御前峰⇒楠峰
大峰(峯)⇒五所山⇒御所山
姥嶺⇒ウバ地蔵

(以上)

仙台カゴと最上カゴは、それぞれ月天森、日天森という古いお名前を持っています

月天は、月天子
日天は、日天子
ですが、この天子とは何かと進むと、少し難しい話になるので、ここではわりと馴染みのある

月光菩薩と日光菩薩と考えると良いでしょう

細かな説明は、省略し、菩薩名からも解るように

月天と日天、それは月と太陽です

東北のお寺さんに多く観られる三尊構成
その真ん中におらっしゃるのが
薬師という如来様であれ、聖となる観音様であれ

それは、実は、まあるい地球なのです

この地球に住まって居る私達にとって
なにより大きなもの(物質、物体)・・・

それは地球です

地球から見た太陽と月は、ほぼ同じ位の大きさ

そして小さいです

なので太陽も、月も、地球の為にある・・・と考えた人がいても、自然なことです
大きさのバランスから地球に従う付属的なものという観方です

その大きな地球の、大きな大地、大きな海
それは、いにしえから多くの民族のよって母に例えられてきました

母なる大地、母なる海

母なる地球

母・・・、だからこそ、この地球の全てのもの、現象の根源神は、女神なのです

如来様も観音様も女性らしいふくよかなお姿です

それは地球の丸さでもあり、女性のからだの豊満さを象徴しているのです

母なる女神は、地球のあまねくものの、命の誕生、命の死を司る根源神であり地球神なのです

命とは精霊とともにあること
そして生きるとは、その命を活かしている現象
死とは、その命を活かせなくなる現象

肉体の物質としての循環と精霊の循環をも包括し
地球に在る、全物質と現象の循環を司っている
それが地球神である女神なのです

一方の男神は・・・というと、宇宙の中心星、北極星
それが宇宙の中心神であり、全宇宙の神と、いにしえびとは、考えていたようです

※民族、時代時代の歴史によって、思想は異なります
 ここに書いたことは、あくまでも私観です、あしからず・・・

イノチ

“イノ”はさておいて“チ”はカミを示します

 それも、さておいといて

 と、以前
 『生命と命と活きること(
http://yamabikoehohnet.blog.shinobi.jp/Entry/51/)』
 で書かせていただきました


 その続きを書かせていただきます

 「いのち」のことを、沖縄では「いぬち」と云います

 沖縄のコトタマは、縄文の古語を残している・・・のではないかと言われています
 それがほんとか否かは、言語学分野の研究者にお任せするとして
 自分自身は、感覚的に賛同者です


 「いぬち」の「いぬ」は、古語では「いぬる」で「いる」という意味です
 「いぬ」は、身近なところでは、「犬」の元となったとも云われています

 漢字をあてれば「居る」ですかね
 自分の解釈では、「ある」が近いように感じます
 これも漢字をあてれば「在る」でしょうか

 前は、「「ち」は、カミを示します」としましたが
 この場合の「かみ」は、古代に存在していないコトタマなので便宜上使ったもので
 す

 「ち」は
 「霊」、「霊力」、「霊力あるもの」とか
 「精霊」、「スピリット」とか
 のイメージの方が良いと想います

 つまり「いぬち」は、
 「霊」と「居る」とか
 「霊力あるもの」と「居る」とか
 「精霊」と「在る」という現象を表現したコトタマと言えそうです

 少し脚色的な表現になりますが、「精霊」とともに「在る」・・・
 それが「いぬち」なのだとオイラ(老良)は、想いっているんです


 「生きること」は、すなわち「活きること」

 ならば「精霊」とともに「在る」この身(自身としての物質に宿りし霊)を活かす
 ことが、生きる(という現象の)こと


 はははっ、ややっこしい屁理屈話ですかねえ

 単純に云えば

 命とは、精霊とともにこの世に在ること・・・

 と言えますが

 いかが感じますでしょうカア(^◆^)

 

イワカミ(磐神)の尾根は、真っ直ぐに磐平峰(糸岳)へと続いていた

まるで巨大な龍の背のような、このイワカミ(磐神)の尾根は、磐平峰(糸岳)を頭とすれば、その口からは糸滝が流れでる

途中の岩の独標の、その砦のような頂点の岩に「鉄心」と刻まれたプレートがありピッケル作りの匠の死を悼み後世にその心を伝えていた。

さらにその奥の独標に辿り着く。
まるで是より先は、神域とでも云わんばかりに5から7mの岩壁が行く手を遮る。
今回の核心部である。

迷いも無く、踏み道を辿る、それは尾根を真っ直ぐ登れと云っている。
左右は、切れ落ちている。

皆さんに手前で、休憩をお願いし、自分は偵察に進む。

うーん、これは・・・
さっきのプレートの場所といい、自分の眼には、確かに「道」が浮かんで観えていたのだが、それが確信に変わるのを覚えた。

いつの頃なのだろか、まったくわからないが、「ここはかつて大勢の山人が通っていたのだ」と心の内で呟くに充分な痕跡を認めることができたのである。


直登した先、岩壁が立ちふさがる、そこには、大した大きさではない岩が・・・。
高さにして1m20~30㎝、幅は1m位か。
そこに行きつくには、道幅が30㎝もない縁を3m位歩くのだが、その下は急な斜面、斜度60~70度位だろうか、落ちたらあっと云う間に姿は消えることだろう。

「まあいいさ、それでも木の根っこにつかまりながら岩に辿りつけるさ」
「不安ならロープを出せばいいだけのこと」

その見事な疣岩は、明らかに無数の山人が足で磨きを掛けてきたことが読みとれる。
一目瞭然なのだ。

「ここを進むのが正解なのか」
しかしその左右は、「落ちたら・・・」

「うーん・・・」と躊躇し、そして結果上がってみた。

その岩上で、可能性を完全に否定し、あきらめが着いた。

道が一瞬無くなる・・・、のに進む。

そうつまり左右が切れたったの岩を、さらに向こうの尾根の岩に飛び移る
つまり空中の道を進まなければならない。
他に、こんな道無い・・・わけでは無い・・・そういう業が必要な道なだけだ。

朽ちた木が掛けられているように感じる。
もしかしたら、過去に誰かが渡したものなのかも知れないが、今はもう役には立たない位置にズレ落ちている。


さて右に巻くか、左に巻くか・・・・。
2万5千(地図)を見ると、コンタ―(等高線)は、右が緩い・・・。
確かに、垂壁ではないのだから、トラバースは可能かもしれない・・・と想えるが、問題は掴まる物と物の間隔が長過ぎるのだ。

右は、かなり道を下降して底部を探るしかないだろう。
しかし裏磐司の上を行くことになる・・・左はどうだろうか。

左に巻いてみる。

おっ・・・木から2本の虎ロープが下がっているようだ。

現場に進むと、腐れてボロボロになった虎ロープが枯れ葉の間にあるのを見つけた。
見上げると、成程、ここに巻いてあっただろうと思われる木がポツンと一本、頼みの虎ロープ今はない。

岩を頼りに、フリーで進んでみる。

危険な断崖部分は、約2m、自分だけななら、このまま進んでしまう。
皆さんも、なんとかなりそうなな感じではあるが
万が一、なんとかならなければ一体何メートルの滑落になるのだろう。
全体として17、8m位、足場の悪い岩場部分は約8m位だろうか、
トラバースでクリア―して進む決断をした。

 もちろん、これは想定の範囲。
持参したロープのお世話にいよいよなる。
軽量化の為今回は、20mのロープを持参。
ギリギリの感じだなあと思いつつも、ハーネスを付け、エイト環でセルフで確保しつつ、やや下降しながらトラバースして行く。

終了点近くになって、ほっとするのも束の間、まいった今度は、スズメバチの巣が眼前に来る。

迷った・・・ここが駄目なら、5~7mの岩を登るしかない。
グレードは、フリーで5.8はない・・・かなあ・・・などと想いつつも。

しかたなくさらに下降気味にロープをセットし直しながら進んだ。

結局、20mのロープ長は完全に使い切った。
その地点にちょーど誰かが残置した腐れロープがある、連携する。
無いよりははるかにましだ。

なぜなら「そこで待っててくださいな」などと気楽に言えないような場所なのである。
そのロープを頼りにとにかく安全な尾根に上がるように指示を出す。

皆さんの安全を確認し、核心部を通過出来た安堵の顔を見渡しながら、一息ついたものの
ここからはじまる藪漕ぎに想いは馳しった。


この核心部を越えるのを諦めて引き返した山人の多さを物語るかのように、踏み跡は薄くなってゆく。

そしてそれは同時に、この先が熊の領域であることを物語っている。
実際、2回、いや3回の威嚇を受け去って行くのを待って停滞した。


藪抜けは、1390独標付近、風鳴平からやや右手に抜けた。
直ぐに望洋平に出た。


磐平峰(糸岳)から360度の景色を楽しみタイムUPして来た道を戻り、二口街道(林道)の糸岳登山口へ向かう
風鳴平の直角に曲がる道は、かつてイワカミ(磐神)の上を行き、やがて尾根道に合流する道と、糸滝への分岐でもあったのだと想う。

漠然と、「今度は、かつては幽仙峡であった遊仙峡の廃道を歩くか」と・・・思いを巡らせた。
 

“活きることが生きること”
とした前回の「生命」の話繋がりで

今回は「生活」を屁理屈って観ます

“生”と“活”

「生きる」と「活きる」

何でニ度も繰り返すのか

しつこい・・・ふふふっ

 

生きるということは、命を活かすこと

自分自身を活かしてこそ、人間の形をした只の“物質”ではなくなるのです

生きるということは“現象”であり、すなわち自分自身を“活かす”という現象のことです

というのが生命の意味であり、意義・・・


“岩”はどうでしょう、“物質”でしかないのでしょうか
そうかもしれません

“水”はどうでしょう、“物質”でしかないのでしょうか
そうかもしれません

そこに“現象”という言葉をあてた時、いかがでしょう、生きませんか
いや活きていませんでしょうか

“岩”や“水”に“生”はない・・・

では活きませんかね、では、あるいは・・・と観て、活きていないのでしょうか

・・・考えて観てください・・・

 

・・・いかがだったでしょう・・・

“水”は、活きています

水の循環性については、山歩【地球胎感】を参照してみてください
http://yamabikoehohnet.blog.shinobi.jp/Category/15/


“岩”は・・・そうですね
なかなか人間の感覚での時間という余りにも短い儚い単位で観てしまうと、活きてはいないのかもしれません

地球は、あらゆる物質でできている

もし“岩”が無かったら、地表はないし
海も湖も土もない
鉱物も採れないので、車も作れない

いや“岩”は、地球という“物質”そのもの(一部分ですが)なのです

屁理屈ではあるのかもしれませんが、そういう観方をすると「活きている」と言えませんか
しかも“岩”は、何億年という単位での大先輩ですね、はははっ


前回も書きましたが“植物”や“岩”や“水”との大きな違いは、人間は「自主自発に活動」することができることです
つまり“現象”を自らおこせるのです

長くなってきました、そろそろエンディングに羽入りましょう


生活を単に「生の活動」とするよりか

“生”の在り方を躍動的に捉えたコトタマ(言霊)と観るのが老良(オイラ)の好みです


「躍動する命」・・・


そうですねえ

「生活」は、「生き活き」と読める

そう、この世を「イキイキ」と「イキ(生きる・活きる」ることが大事なように思えます

いや、「粋に意気る」なんてのもいいなあ~
これは、得意のダジャレですね、はははっ

 

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