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盤司尾根の下見に行った帰路、秋保大滝不動尊に寄りました。
そこからこうして筆をとるまでに思い巡ったことを徒然に書かせていただきます。
秋保大滝不動尊の看板には、“山形県山寺立石寺の奥の院”と書かれています。
はて立石寺の奥の院といえば、あの山の最上部にあるのではないかという疑問が起こります。
確かにそのとおり在ります。
KOH察の範囲を出ませんが、立石寺は、天台宗の山でしたが、鎌倉幕府の命で一時、禅宗になりました。
その後、天台宗に戻ります。
禅宗は、修験の山駆けのような行為に否定的です(皆が皆ではないでしょうけど)。
その時の名残なのではないかと想います。
正式、古式、言い方はどうあれ、本来の正しく参拝するのであれば、立石寺(方面)から二口峠を越えてこの秋保大滝不動尊まで歩くことになります。
でもそれは大変なので、奥宮ではなく、里宮があります。
里宮は、通信基地と言ってもいいかもしれませんね。
では、その参道は、どこなのか・・・今は、想像するしかありません。
創建年は、伝で貞観2年(860年)、開基も伝で慈覚大師円仁です。
立石寺の法燈は、比叡山からの分燈であり、一時焼打ちで消えたが、再び分燈されている。
比叡山焼き討ち後の再建時には、逆に立石寺側から分燈された。
それ程繋がりが強いのです。
創建当時から室町時代までは、天台宗の修行僧達が、比叡山式の回峰行を模して修行に励んだことでしょう。
その場所は、あまり知られていませんが、直ぐ先に峯の浦と言われる場所があり、多くの岩と滝のある修験場跡が残っています。
そして日常の回峰以外に、おそらくその奥の遊仙峡から紅葉川渓谷へ進む道も修行場であったことでしょう。
通称山寺の正式な寺号は、宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)です。
紅葉川渓谷には、宝珠と呼ばれる岩場がありますのでその関連性を感じます。
また両渓谷ともに岩小屋と呼ばれる場所もあります。
地図を広げて観るとわかりますが、紅葉川渓谷と遊仙峡は、直線上にありません。
両方を歩くとすれば、回峰コースとなります。
単純な想像になりますが
立石寺→遊仙峡→秋取峰尾根→糸岳(岩平峰)→盤司岩尾根→沢→大滝だったのではないでしょうか。
遊仙峡から秋取峰尾根へ及び盤司岩尾根に登山道はありません。
現在の道具と道の整備状況があったとしてもかなり厳しい工程です。
当時ここを歩き、大滝に向かうには、相当の行者修行を目指す者であったことでしょう。
※ 2009年8月23日現在、秋保大滝の滝壺までの遊歩道は通行止めとなっておりますので、訪れる際にはご注意を。