忍者ブログ
ADMIN / ENTRY
2024
05
<<  >>
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
[41]  [40]  [36]  [38]  [37]  [35]  [34]  [33]  [32]  [31]  [30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

山彦恵方では、『山歩』、『野歩』の他に『行歩(ぎょうほ)』という企画をご提案させていただいております

『行歩』とは、「修験の道」、あるいは「行の道」という観方をした“厳しさ”をともなう山歩(さんぽ)企画です

先日、行歩としての位置づけにて飯豊連峰の主稜線を弥平四郎口から大石ダム林道ゲート(東俣川側)までの長大な道を4泊5日で歩いてきました

このルートは、飯豊連峰の一般登山路としては、最長と言っていいと思います

『行歩』KOH(考)として行歩の意義を書かせていただきます

行歩企画を目にされた方の心の内には、「参加しようか、どうしようか」という想いがポツ念として起ります

緊張感の芽生えです

この緊張は、なぜ芽生えるのでしょうか

それは可能性への疑念であり
未知の自分自身の出あいの予感です
(「あい」にどの漢字を当てたら良いのでしょうか、遭いでしょうか、逢いでしょうか、それとも遇いでしょうか)

「果たして今の自分自身の技量で、歩き切れるのだろうか・・・」
この自分自身への問い掛けが、緊張を招いているのです

その瞬間、もう既に“行歩”は、はじまっているのです

結果、何らかの理由より、参加を断念したとしても、少なくとも自分自身に問いかけたこと
そのことがとても大切で大事なのことなのです


自己と向き合うことで、未だ観ぬ自分自身を見い出す
高める、成長する、気づきを得る

 

それらは、どこからやってくるのでしょうか

自分自身の心からです

心と向き合う、これが“行”の原点なのです

参加を表明された方は、さらに緊張を高めることになるでしょう
その時点から日常にまで、その緊張を持ち込むことになる
夢のも観るかもしれません
心の世界の想像で、自己と対峙する

恐怖心、恐れ、ストレス
緊張が不安に変化し、そこに向き合うことになります

そういうマイナスな心に支配されつづけるのでしょうか
違いますね、そこむ向き合うことを決断します

そして自分自身の心技体に、問いかけ、点検を開始します
点検結果、不安や不足の事があれば
それを払拭するために対策を講じようとして、その為の取り組みを開始します

山道の第一歩を踏みだす日に想いを馳せて

来たるその日に向けて、今の自分自身に出来るうる努力しつつ
その日のその第一歩に向かうのです

そこにあるのは期待、不安、憧憬
あるいはそうですねえ
山への畏敬の念も湧きおこってくるかも知れません

そう考えてみると、不安と期待の入り混じった自分自身の真の第一歩を
背中をポンと押して歩み出させてくれるのは
他人ではなく自分自身の勇気なのだということに気がつきます


ハレの日の第一歩を踏みだした時から
貫徹の最終歩までの間の道中は、自分自身を信じてひた向きに歩くしかないのです

この自分自身を信じてやること、これが単純に言えば自信です
「自信がある」あるいは、「自信を持て」という表現は
傲慢に聞こえるでしょうか、謙虚ではないと

理屈を書きます

自分とは、精神体を言います
自身とは、肉体を言います
自分自身で、生命体です
自分自身とは、精神体と肉体の両方の一体化を示す言葉なんです

その両方を信じることなので自自信が正確なように思います、ははは

「自信がある」とは、その一体化を、一体していると感じる時の状態を指します

その自信がある状態をを感じるところは、心なのですが
その心に層があるとすれば、ずうっと深い層です

その層を刺激し続けると、さらに自分自身に力を与える何かが動き出します

その力が動き出すことを感じたことがありますでしょうか
その何かの動きの導き感、制御感を感じる得た時・・・
ははは、かなり難しい話になってきましたね、止めましょう

何かが何かだけ簡単に書きます
それは“霊体”ですといったらオカルト的に感じ拒否感を覚えますでしょうか
では日本人には、なじみのある“精神”、あるいは“魂”としましょう

余談ですが、“魂”も“魂魄”として精神体と肉体、心身一体の思想です。


遣り遂げた時、何を手に入れることができるのでしょうか
達成感、それはありますよね

でもその答えは、達成感と言う事だけではないでしょう

その日から、ゆっくりと時間をかけて心の奥底にある精神、あるいは魂から
清水の如く湧きあがってくるものなのだと思います
その水の味は、遣り遂げた自分自身のみが感得しるものなのでしょう

“行歩”とは、これら一連の準備、実行、感得を目指した山との関係性なのです
 

PR
この記事にコメントする
お名前:
タイトル:
文字色:
メールアドレス:
URL:
コメント:
パスワード:   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
山彦恵方
HP:
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
お天気情報
Powerd by NINJAブログ / Designed by SUSH
Copyright © 山彦恵方 『深山回峰・森羅瞑想』 All Rights Reserved.
忍者ブログ [PR]