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「暴力」
殴る蹴るだけが「暴力」ではないです
物を投げつける
怒鳴る
無視する
威圧する
それ以上に、言葉の暴力は、身体への暴力より根深い影響を与え、陰湿で酷い
また相手の名誉を「傷つける」、「誇りを奪う」ことも暴力と云えます
ところで、その「暴力」の反対の言葉ってなんでしょうか、考えてみたことありますか
・・・・・・・・・・・
「非暴力」でしょうか・・・・
それは暴力を否定することでしかないように想います
「暴力」とは、「暴れる力」です
「力=ちから」・・・そうです、“ち”が含まれているコトタマです
まあ、それはいつものように、ハハ、おいといて・・・
「暴力」には、力(ちから)が含まれている、というより力(ちから)そのものです
暴力の反対の言葉が、何か
山彦恵方流に「愛」とか「慈悲」を充てたいと想います
暴力に対抗しうる言葉として、「愛」、「慈悲」・・・
いかがでしょうか、ご賛同いただけますでしょうか
「はい」・・・いただけますか、それは良かったあ、ありがとうございます
「愛」とか「慈悲」には、力という文字はありません
なのに「暴力」に十分に対抗しうる、いや、十二分にそれを包みこむ“ちから”を持っている
力には、力を持って制しようとする行為が、いかに愚かなことかを暗示しているように想いませんか
●余談
アメリカは世界のポリスだと豪語し、軍事力を世界各地に配備し、そして行使しています
それは 「力」 の反対語が、結局のところ 「力」であるということを意味しているように感じませんか
「力」VS「力」は、どれ程の綺麗事を述べようとも、「暴力」VS「暴力」の構造なのです
キリスト教の、「愛」と「慈悲」の精神は何処にいったのでしょうか
テロを軍事力で封じ込めるというのは、一見正しいように思えますが、果たして「力」VS「力」に他ならないのです
「核の放棄宣言」を行った大統領オバマ氏に、「愛」と「慈悲」の求道者として指導力を発揮していただきたいものです
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