[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
11月03(火)
行歩【古山伏道】黒伏山周回
●主な山:黒伏山・白森山・柴倉山(宮城/山形)
●コース:
往路:沢渡黒伏登山口(車)6:30→黒伏山南峰(往復)→黒伏山→白森山→銭山→福禄山→(藪突入)柴倉山
帰路:基本計画(周回プラス柴倉):柴倉山(藪突入)→黒伏登山口分岐→黒伏山登山口方面→徒渉→沢渡黒伏登山口(車)
時間見合い(延長):柴倉山→姥嶺(姥地蔵)まで往復して基本計画へ
時間見合い(往路戻り):福禄山→銭山→白森山→黒伏山→黒伏山南峰→沢渡黒伏登山口(車)
時間見合い(柴倉をカットして往路戻り):柴倉山カット→白森山→黒伏山→沢渡黒伏登山口(車)
時間見合い:柴倉山をカットして周回
エスケープ:黒伏山登山口→スキー場入口にて待機していてください(車を取りに行きます)
●会費:5,500円
※行動時間が長いので早朝出発になります
※温泉はなしです
※送迎有り
追加企画
11月02(月)
行歩【古山伏道】白髭山・仙台カゴ・最上カゴ・楠峰
●主な山:白髭山 (宮城/山形)
●コース
往路:黒伏高原・柳沢小屋(車駐車)6:30→粟畑→白髭山→粟畑→(登山道→藪突入)仙台カゴ(藪突入→登山道)→(登山道・藪突入)楠峰(藪突入・登山道)→粟畑→最上カゴ
帰路:基本計画:最上カゴ→粟畑→柳沢小屋(車)
時間見合い(延長):最上カゴ→姥嶺(姥地蔵)→廃道(徒渉有)→柳沢小屋(車)
時間見合い(延長):最上カゴ→姥嶺(姥地蔵)→柴倉山→黒伏高原登山口(待機可能)→柳沢小屋(車)
●会費:5,500円
※行動時間が長いので早朝出発になります
※仙台カゴ、最上カゴ、柴倉山、楠峰は藪漕ぎです
※温泉はなしです
※送迎有り
イワカミ(磐神)の尾根は、真っ直ぐに磐平峰(糸岳)へと続いていた
まるで巨大な龍の背のような、このイワカミ(磐神)の尾根は、磐平峰(糸岳)を頭とすれば、その口からは糸滝が流れでる
途中の岩の独標の、その砦のような頂点の岩に「鉄心」と刻まれたプレートがありピッケル作りの匠の死を悼み後世にその心を伝えていた。
さらにその奥の独標に辿り着く。
まるで是より先は、神域とでも云わんばかりに5から7mの岩壁が行く手を遮る。
今回の核心部である。
迷いも無く、踏み道を辿る、それは尾根を真っ直ぐ登れと云っている。
左右は、切れ落ちている。
皆さんに手前で、休憩をお願いし、自分は偵察に進む。
うーん、これは・・・
さっきのプレートの場所といい、自分の眼には、確かに「道」が浮かんで観えていたのだが、それが確信に変わるのを覚えた。
いつの頃なのだろか、まったくわからないが、「ここはかつて大勢の山人が通っていたのだ」と心の内で呟くに充分な痕跡を認めることができたのである。
直登した先、岩壁が立ちふさがる、そこには、大した大きさではない岩が・・・。
高さにして1m20~30㎝、幅は1m位か。
そこに行きつくには、道幅が30㎝もない縁を3m位歩くのだが、その下は急な斜面、斜度60~70度位だろうか、落ちたらあっと云う間に姿は消えることだろう。
「まあいいさ、それでも木の根っこにつかまりながら岩に辿りつけるさ」
「不安ならロープを出せばいいだけのこと」
その見事な疣岩は、明らかに無数の山人が足で磨きを掛けてきたことが読みとれる。
一目瞭然なのだ。
「ここを進むのが正解なのか」
しかしその左右は、「落ちたら・・・」
「うーん・・・」と躊躇し、そして結果上がってみた。
その岩上で、可能性を完全に否定し、あきらめが着いた。
道が一瞬無くなる・・・、のに進む。
そうつまり左右が切れたったの岩を、さらに向こうの尾根の岩に飛び移る
つまり空中の道を進まなければならない。
他に、こんな道無い・・・わけでは無い・・・そういう業が必要な道なだけだ。
朽ちた木が掛けられているように感じる。
もしかしたら、過去に誰かが渡したものなのかも知れないが、今はもう役には立たない位置にズレ落ちている。
さて右に巻くか、左に巻くか・・・・。
2万5千(地図)を見ると、コンタ―(等高線)は、右が緩い・・・。
確かに、垂壁ではないのだから、トラバースは可能かもしれない・・・と想えるが、問題は掴まる物と物の間隔が長過ぎるのだ。
右は、かなり道を下降して底部を探るしかないだろう。
しかし裏磐司の上を行くことになる・・・左はどうだろうか。
左に巻いてみる。
おっ・・・木から2本の虎ロープが下がっているようだ。
現場に進むと、腐れてボロボロになった虎ロープが枯れ葉の間にあるのを見つけた。
見上げると、成程、ここに巻いてあっただろうと思われる木がポツンと一本、頼みの虎ロープ今はない。
岩を頼りに、フリーで進んでみる。
危険な断崖部分は、約2m、自分だけななら、このまま進んでしまう。
皆さんも、なんとかなりそうなな感じではあるが
万が一、なんとかならなければ一体何メートルの滑落になるのだろう。
全体として17、8m位、足場の悪い岩場部分は約8m位だろうか、
トラバースでクリア―して進む決断をした。
もちろん、これは想定の範囲。
持参したロープのお世話にいよいよなる。
軽量化の為今回は、20mのロープを持参。
ギリギリの感じだなあと思いつつも、ハーネスを付け、エイト環でセルフで確保しつつ、やや下降しながらトラバースして行く。
終了点近くになって、ほっとするのも束の間、まいった今度は、スズメバチの巣が眼前に来る。
迷った・・・ここが駄目なら、5~7mの岩を登るしかない。
グレードは、フリーで5.8はない・・・かなあ・・・などと想いつつも。
しかたなくさらに下降気味にロープをセットし直しながら進んだ。
結局、20mのロープ長は完全に使い切った。
その地点にちょーど誰かが残置した腐れロープがある、連携する。
無いよりははるかにましだ。
なぜなら「そこで待っててくださいな」などと気楽に言えないような場所なのである。
そのロープを頼りにとにかく安全な尾根に上がるように指示を出す。
皆さんの安全を確認し、核心部を通過出来た安堵の顔を見渡しながら、一息ついたものの
ここからはじまる藪漕ぎに想いは馳しった。
この核心部を越えるのを諦めて引き返した山人の多さを物語るかのように、踏み跡は薄くなってゆく。
そしてそれは同時に、この先が熊の領域であることを物語っている。
実際、2回、いや3回の威嚇を受け去って行くのを待って停滞した。
藪抜けは、1390独標付近、風鳴平からやや右手に抜けた。
直ぐに望洋平に出た。
磐平峰(糸岳)から360度の景色を楽しみタイムUPして来た道を戻り、二口街道(林道)の糸岳登山口へ向かう
風鳴平の直角に曲がる道は、かつてイワカミ(磐神)の上を行き、やがて尾根道に合流する道と、糸滝への分岐でもあったのだと想う。
漠然と、「今度は、かつては幽仙峡であった遊仙峡の廃道を歩くか」と・・・思いを巡らせた。
11月のスケジュール
以下のように一部変更(※部分)し、日程を追加しております
全募集中です(募集締切りの企画も復活です)
①11月01(日)野歩【紅葉木道】紅葉川渓谷散策(紅葉川渓谷入口~黒滝)
会費5,000円
※親睦、芋煮を削除
◆確定です
●11月02(月)行歩【古山伏道】仙台カゴ、最上カゴ、楠峰、白髭山
会費5,500 温泉なし
※急遽追加の企画です 仙台カゴ、最上カゴは藪漕ぎです
◆確定です→悪天で中止
●11月03(火)山歩【古山伏道】黒伏山周回(白森山、柴倉山、黒伏山の周回)
会費5,500 温泉なし
※沢渡林道側から入りますのでスキー場下の徒渉はありません
※急遽追加の企画です
◆確定です→悪天で水晶山へ変更して実施
②11月08(日)山歩【地球胎感】荒雄岳鬼首大カルデラの中心岳(片山・八森コース周回)
会費6,500
※周回コースに変更
◆確定です
③11月14(土)野歩【古寺石歩】立石寺周辺の山の散策
※この企画は、内容再検討中です
④11月21(土)~23(月)【岩神瞑想】瑞牆山、金峰山
(おそらく会費30,000円位)
◆確定です
⑤11月28(土)行歩【古薬願駆】大和町宮床の七ツ森を七駆け(古式)
現地集合3,50・自宅近辺送迎4,500
※6時00スタート予定です(日の出は、6:32、日没は16:17)
※【古式願駆】から【古薬願駆】に変更
◆確定です
“活きることが生きること”
とした前回の「生命」の話繋がりで
今回は「生活」を屁理屈って観ます
“生”と“活”
「生きる」と「活きる」
何でニ度も繰り返すのか
しつこい・・・ふふふっ
生きるということは、命を活かすこと
自分自身を活かしてこそ、人間の形をした只の“物質”ではなくなるのです
生きるということは“現象”であり、すなわち自分自身を“活かす”という現象のことです
というのが生命の意味であり、意義・・・
“岩”はどうでしょう、“物質”でしかないのでしょうか
そうかもしれません
“水”はどうでしょう、“物質”でしかないのでしょうか
そうかもしれません
そこに“現象”という言葉をあてた時、いかがでしょう、生きませんか
いや活きていませんでしょうか
“岩”や“水”に“生”はない・・・
では活きませんかね、では、あるいは・・・と観て、活きていないのでしょうか
・・・考えて観てください・・・
・・・いかがだったでしょう・・・
“水”は、活きています
水の循環性については、山歩【地球胎感】を参照してみてください
http://yamabikoehohnet.blog.shinobi.jp/Category/15/
“岩”は・・・そうですね
なかなか人間の感覚での時間という余りにも短い儚い単位で観てしまうと、活きてはいないのかもしれません
地球は、あらゆる物質でできている
もし“岩”が無かったら、地表はないし
海も湖も土もない
鉱物も採れないので、車も作れない
いや“岩”は、地球という“物質”そのもの(一部分ですが)なのです
屁理屈ではあるのかもしれませんが、そういう観方をすると「活きている」と言えませんか
しかも“岩”は、何億年という単位での大先輩ですね、はははっ
前回も書きましたが“植物”や“岩”や“水”との大きな違いは、人間は「自主自発に活動」することができることです
つまり“現象”を自らおこせるのです
長くなってきました、そろそろエンディングに羽入りましょう
生活を単に「生の活動」とするよりか
“生”の在り方を躍動的に捉えたコトタマ(言霊)と観るのが老良(オイラ)の好みです
「躍動する命」・・・
そうですねえ
「生活」は、「生き活き」と読める
そう、この世を「イキイキ」と「イキ(生きる・活きる」ることが大事なように思えます
いや、「粋に意気る」なんてのもいいなあ~
これは、得意のダジャレですね、はははっ