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快晴の瑞牆からは、浅間山、北アルプス、八ヶ岳、南アルプス、そしてしろし深山富士山が見えました
ところで「瑞牆」、なかなか読めません
「みずがき 」又は「みづがき」です
充て漢字は、瑞牆の他は、瑞垣、水垣、瑞籬です
では瑞垣の意味はというと
「みず」は美称です
古語では「みずかき」といい、神社のや殿の垣根のことです
「たまがき」と同じです
玉垣というのは、神殿を囲んでいる木製の垣根のことです
正式な神社の構成では、たまがきで囲むことになっていますが、最近ではあまり見かけなくなくなってしまいました
「みず」が美称ということは、神にとっていかに「みず=水」が神聖なものであったが想像に難くありません
また「みず」は、「みずから」、つまり「みず+から」です
水の波動が、「自ら」にかかる言葉と一致しているのは、たいへん興味深いものがあります
また「自」を「みずか」と読ませていますが、本質は「自から」であると云って何の違和感もないと想います
それは「自」が「水」と本質が同じであるということを示しているのです
人間の身体の70%は、水だといいます
古代のひとは、観察によってひとの身体の本質を観抜いていたと考えると感慨が深いものがあります
11/21 10時少し修正、加筆しました
●「ことたま」入門 「音」 と 「訓」
音読み と 訓読み の違い
結論から書きますね
音読みは、中国の発音です
中国といっても時代によってその音も異なるので
呉音・漢音・唐音(宋音・唐宋音)・慣用音
などがあります
訓読みは、日本語です
漢字は、仏教とともに輸入した文字です
と書くと嘘かな
それ以前に陰陽五行や易などで入ってきていましたから
その統一を国家事業として行ったのが「古事記」や「日本書紀」だと想われます
音読みと訓読みの説明に好く使われるのは
サクラ と キク の話です
「桜」=「さくら」=「オウ」です
「菊」=「キク」・・・しかありません
漢字には「カタカナ表記の読み方」と「ひらがな表記の読み方があります
カタカナ表記が音読み
ひらがな表記が訓読み
です
日本語、やまと言葉かな
「桜」は、「さくら」です
中国語では「オウ」と発音しています
日本人にとって「オウ」と云われても、その意味が「桜」とは思えない
「おう!」と挨拶を返してしまうかもしれません
漢字を輸入したした当時「オウ」が「さくら」とは直ぐにはわからなかったのかもしれません
中国に桜があるかもわからなかったかもしれませんし
そして「キク」
意外かもしれませんが「菊」は、日本が原産ではないのです
なのに「天皇家」は、菊のご紋です・・・
この話はやめておきます
つまり日本語に「キク」は無かったのです
なので訓読みはありません
遅くなりましたが、「訓」は、「意味」ということが字義です
ですが訓読みの「さくら」で、その意味がわかりますか
わからないですよね
本質が失われてしまったのです
コトタマでは、「さ」「く」「ら」なのです
「さ」の持つ「意味」
「く」の持つ「意味」
「ら」の持つ「意味」
それぞれが状況などを含む意味を持っています
そしてその組み合わせで、さらに意味を持ちます
さく+ら
さ+くら
などです
さく=咲く ら=?
さ=佐? くら=蔵?
さ=? く=? ら=?
答えは、今回は書きません
漢字と日本語の関係というのは、そういうものなのなのだと覚えてくださいませ
玄米と白米のつづき
●玄米と白米
「しろ」は、「しいろ」と先に書きました
そして「死色」とも
そう書いておいて何ん何んですが
「志」でも「知」でも「紙」でもいい、要するに「し」と読めるのであれば、その本質はコトタマの「し」が秘められています
簡単に言えば、サンスクリプトを漢字に置き換えた三蔵法師玄僧や鳩摩羅什(くまらじゅう、くもらじゅう)の般若心経と同じです
同音あるいは近しい音での、その音がその場合に意味することを
漢字のなかから選んで充てたのです
もちろんそれはとても智恵のいることだったでしょう
けど大事なのは、本質です
「し」が「死」である例が、この玄米と白米の関係からも観てとれます
「玄米」は、発芽しますが、「白米」は、(自然な意味で)発芽することは出来ません
つまり「玄米」は、生きています
私たちは、生命を戴いているということになります
一方の「白米」は、生きていると云えるのでしょうか
「籾」や「玄米」には、命を繋ぐ何か生命の素が存在していますが、「せいまい」した途端にそれは失われます
「せいまい」・・・「精米」と書きますが、精霊の「精」、生命の「せい」、つまりコトタマでの「せい」としては同じです
そう考えるとなんだか切ないです
白米は、大きな意味の於いてもはや「死」んでいます
つまり「しまい」なのです
「お終い」・・・は「しま」ですから違いますね
無理に漢字を充てるのあれば、近のは、「止」ってところでしょうか
人の生命に採り入れさせていただくことで、活かされてはゆきますので「活き」ているとは云えますが・・・
やはり広義では「し」でしょう
「白米」の場合は、活かされないの状態の「し」という意味での「し」です
それを漢字に求めるた時、漢字の編纂者は「死」を選択したのか・・・
そうではないですね
基本としては、生命を失った状態の「し」というコトタマに「死」の字を充ててt共通認識としたのです
白米は、米として生命を繋ぐことはできなくとも「死=し」とは云えないのだと想います
「志」は持っているのに、それが出来ないとしたら
辛いなあ
生きているの死に体です
とも使いますね
「白米」の置かれた状況も、そうなのかも知れませんね
あなたならどんな漢字を充てますか
●変形としての「白」と「黒」
はく
しろ
こく
くろ
「はく=しろ」で「こく=くろ」です
「ろ」も共通でしたが、「く」もまた共通・・・
ほんとうに偶然なのでしょうか
しかも縦に読むと「白」は、「はし」と「くろ」、黒は、「こく」と「くろ」です
両方に「くろ」が入ります
なんだか謎掛けのような気を受けます
つづく
少し難しくなって来ましたので、少し簡単な 「白」と「黒」の話を書きます
●玄米と白米
先に「玄米」の話を書きましたが
「玄米」の対極はなんでしょう
「白米」・・・
でしょうか
確かに「玄=黒」とみなすと白が来て「白米」としたくなる
では、「籾(もみ)」との関係はどうでしょうか
「籾」と「白米」が対極にある関係だとしたら
「玄米」は、その中間・・・
籾―玄米―白米
黒―灰―白・・・
この配列では、「玄」は「灰」の解釈に・・・
ここで観じるのは、
玄米が「絶対的、真理」とすれば
「籾」は、「素」、つまり「はじまり」です
そして「白米」は、行き過ぎた物ではないかということです
物品入手の優先文明、つまり物品文明の行き詰りは、すなわち過ぎ足ること・・・
ではないでしょうか
つづく・・・
《断捨離セミナーin杜の都仙台》
断捨離創始者の山下洋程子先生をお招きして、2日間じっくり断捨離について取り組むセミナーです
◆断捨離・だんしゃりとは・・・
自律神経と氣のレベルからモノとの関係を問い直し、暮らし・自分・人生を調えていくプロセス
不要・不適・不快なモノとの関係を、文字通り、断ち・捨て・離れ 引き算の解決方法によって停滞を取り除き
住まいの、暮らしの、身体の、気持ちの、人生の、新陳代謝を促す…
住まいが、片づかないという悩みはもとより
身体の不調、煩わしい人間関係、忙しすぎる状況をも解決していきます
未定
※仙台市内予定
【講師】
山下洋程子先生
断捨離の学びにきましては、以下のブログをご参照ください
http://blog.goo.ne.jp/danshari
http://danshari.at.webry.info/201111/article_1.html
【定員】
16名
※両日とも定員になり次第締め切らせていただきます
【会費】
仙台では、初の開催です
より多くの方にご参加いただきたいと考えておりますので
今回は、その希望を込めての会費設定とさせていただきます
2日間通し 検討中です
1日目のみ 検討中です
2日目のみ 検討中です
【親睦会】
検討中です
【お申し込み先】
山彦恵方byAZUMIC(=^・^=)
E-mail:yamaeho_nw @yahoo.co.jp
※@の前のスペースを削除してご使用ください
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●詳細は、お申し込みいただきました方へEメール、FAX、郵送のいずれかでお送りさせていただきます
●断捨離セミナーは、心理療法や医療ではありません